自宅

このひと月ほど、二人の狂人との邂逅がありました。

ひとりはプライベート、もうひとりは仕事上で。

プライベートのほうは、古い付き合いの相手でこちらからの好意や手助けとして出されたものは受け取るが、そうなった境遇を心配するこちらの心情は「大きなお世話」「説明の必要はない」と言い、付き合いのよしみがあるので礼儀や経緯の省略は「いいじゃないか」とすましますが、こちらからの忠告は「自分を理解しない者からの説教」だと耳に入れません。
道行く人が自分を見つめるのだといい、自分の口臭や体臭が酷いのだと言う、*1対人恐怖症とおぼしきいくつかの顕著な症状を持っているが、クリニックの受診は拒否している。そういう御仁です。


仕事のほうの関係者は、他人と関わっているのに、とにかく何も妥協できず、すべてをその場で自分が思うようにできないと気が済まない人。
たとえば、週に何度か仕事で使う際に家電製品などを移動させる際に、週に何度も「取っ手」を持つと取っ手が壊れるので両手で下から持ち上げて移動させろ、というようなことを、作業の流れを中断させて自分で横から手を出してまで言うのです。それをやめろ、せめて作業を中断しない程度にしろと言うと、「一度でもそうされると壊れるかもしれない」などと言います。
製品についている取っ手は移動させるための部品なので、それを持って移動させたから壊れたとしても・・・・などとも思うのですが、そういう理屈は通じません。
そういうことが、一時間程度の作業のなかに、何か所も、何度も、何十分にも及ぶため、こちらの仕事に著しい支障が出てしまうのですが、そこを、おいおい言ってゆくゆく対応してもらおう(優先するべきほかの手順を優先してもらおう)とか、9割やってもらえればOK。あとは我慢するか自分で仕上げよう、と折り合うことができないのです。こちらもクリニックの受診は拒否しています。


しかし、彼らにとってこれらの事項はすべて現実で当然で自然で当たり前のことであり、自分が正しいか、要求の度合いが普通より“少し”多い/大きいものかもしれないが正当な理由による要求や考え方である、としか認識できていません。
前者はすでに周囲との人間関係が崩壊しており、そのことで窮地に立っているのですが、人間関係を断ち切っているのはそういう独りよがりで身勝手な考え方(これも対人恐怖症によるものかもしれませんが)と、おそらく病気による症状のせいなのですが、それを受け入れることができません。


後者も同様で、周囲の何もかもが自分の正しい主張をなぜか聞いてくれない、自分が非常に不遇な立場にあるのだと思っています。


二人を狂人と書きましたが、つらつらと思うにこだわりは自分にもあり、狂っているかどうかは自分自身についてもあいまいです。もしかすると、二人の狂人と一人の狂人(わし)との邂逅だったのかもしれません。
たとえば、わしのタバコ嫌いは、一般的なレベルからすると強度のこだわりでしょう。

わし自身は、実際にタバコの臭いで不快になりますし、体調に影響があることもあると認識しています。
ですが、タバコの臭いをぷんぷんさせながら人ごみにいる人もよくいますし、歩きタバコをする人も一定数から減りません。そうした人々とそれを許容している人々も多いことを鑑みると、世間一般的な程度からすると狂っているのはわしのほうかもしれません。


まぁしかし、生活のかなりの範囲において支障や影響が出ている二人の狂人は、やはり「狂人との邂逅があった」と記しておくに値するものでしょう。
幸い、一度彼らとのつながりは切れるか距離を置くことになりそうです。


自分の狂気に対していささか自信を疑う一か月でしたが、面白い観察ができた一か月でもありました。

*1:一緒に歩いたが誰も見ていないし、隣で話したりもしたが臭いはしない。が本人は「そんな気がする」ではなく「見てくる/臭うのだ」と譲らない