神泉

Dowa2011-04-06

ポプラの新芽が大きくなって、見上げたソラを背景にポプラの枝が点描画のようにぽつぽつと見えています。
枯れ木のようだった街路樹が急に生き生きとし始めた気がします。


Twitterで職場でのタバコの臭いを愚痴っていたら「言ったほうがいいよ」とアドバイスを貰ったのですが、ちょっと補完。

実際には言えない。というのがわしとしての回答だったのですが、それはもちろん「言って揉めたらいやん」ということが第一の理由です。
こちらも善意で気づかせてあげているというのではなく、「臭いよ!イヤなんだよ!」って気持ちがあってのことなので、低頭平身に言葉を選んだつもりでもそれは出てしまうかもしれないし、そうでなくても喫煙者は(非喫煙者とは別の方向で)この話題にはナーバスでしょう。

そのあと人間関係が上手く行かなくなると仕事に支障も出かねないというのを危惧するとやっぱり躊躇します。


でも、もう1つ、言えない側面があります。

それは内向きの理由で、わしがタバコの臭いがダメなのは、わし自身が問題ではないかという点です。

わしは嗅覚が特に優れているわけではなくて、たぶん周囲を把握することに関して嗅覚に対する優先度が高く、そのうえでタバコの臭いが苦手なのではないかと思っています。


平たく言うと人より過敏なだけです。「異常」と捉えられるかもしれません。


現に、職場でわしが殺虫剤をかけられたゴキブリのごとくに悶絶していても非喫煙者の同僚達も平然としているわけで、このことを同僚に聞いたこともありますが「言われてみれば確かに○○さんはにおいが染み付いてるかもねー」という程度でした。

マイノリティが黙殺されて然るべきであるとは思いませんが、そうなるのは世の常でもあり、そこまで行かなくても大多数の幸福(?)が優先されるのは社会のあり方の1つでもあるでしょう。

仮に、数人居る職場の喫煙者に「臭いをどうにかして欲しい」ということを承服してもらったとしていくばくかの労力はかけてもらう必要は出てくると思いますが、ほかの人はどうとも思っていないのに、たった一人の臭いに過敏な者(わし)のために数人が支払う労力が吊り合うのかという疑問があります。


じゃあ黙って黙殺されてればいいじゃん、って話しになりますが、わしの主観としてはどうしても辛いものは辛いし臭いものは臭いのでブログやTwitterで吐き出すわけです。

タバコが臭いということについての賛同は得られますし、それはおそらく事実でしょうけど、では世間の通念に照らし合わせてそれを是として喫煙者に真っ向からぶつけるのは、何かどうも躊躇われるのです。


主観と周囲の温度差が悩み所です。*1

*1:裏を返せば、わしはわしなりに空気は読むんよ?ってことで