府中

Dowa2012-04-04

早くもツバメが到来しています。まだ桜も咲ききってないのに気が早い。
遊園の二ヶ領用水の歩道脇に植えられたユキヤナギが満開。歩道の横に白い低木がずっーっと続いて見えます。


府中市美術館の「三都画家くらべ」の展示を鑑賞。京、大坂、江戸の画家の作品をさまざまなテーマでチョイス。見ごたえアリです。特に印象に残った作品。


《垣豆群虫図》(伊藤若冲):そら豆に群がった、蜘蛛、かまきり、蝶、キリギリス(?)、マルハナバチ(?)、などの虫が、かまきりを中心にちりばめられている。カマキリの足が1本多いw(または後ろ足の関節が1つ多いか)。


《兜鷹図》(伊藤若冲):武者兜の上に白鷹が留まり、鷹の背の毛並みと兜の“しころ”(後頭部から首を覆うところ)のこざねの並び模様が対比になっているかのような構図がかっこいい。


《荷宝蔵壁のむだ書》(歌川国芳):壁の落書きを模した3枚つづりの絵。役者絵のうまへたなさまざまな落書きや変なネコ、相合傘などが一面に描かれていて楽しい!


《四季の花図》(柴田是真):1枚の絵の中に四季の花が描かれているのだが、てんこ盛りではなくどこかうら寂しさを感じる。でも、構図は真ん中を斜めに蔓がよぎり、大胆で存在感があり力強い。


《なめくじ図》(長沢芦雪):1匹のなめくじが這い回っている図。なめくじが這った後が描かれている。もう素材が大胆でユーモラス。


《遠見富士図》(長沢芦雪):丘の上の一本の松と、その向こうに見える富士山がうっすら。これだけの掛け軸の絵だが、松を抜けて吹いてくる風を全身に受けるような感覚。


《盆踊図》(中村芳中):すごく楽しそうに踊っている男女数名が、めいめいおのおのの格好やポーズで描かれている。それぞれの人物が絶妙な重なり具合で、それが1つの場所で同じ踊りを共有して楽しんでいるというのが見て取れる。なんとも楽しげな掛け軸。


《地獄図巻》(耳鳥斎):職業別の「地獄」が絵が描かれた滑稽図。たとえば、「歌舞伎役者地獄」だと、一本柱に縛り付けられた人が、鬼にでかい大根を口に押し込まれてる。つまり大根役者w


《寒月狸図》(森徹山):夜ゾラを見上げる狸の後ろ姿。そっと近づかないと気づいて振り返って逃げてしまいそう。毛並みやその毛皮の下の筋肉の緊張までありありと伝わる。


ほかにもいろいろでしたが、大満足の展示でした。


しかし、、、、府中駅からバスで向かおうとしたのですが、同じバス乗り場から「多摩」行きと「多摩」行きの両方が出ていて非常に紛らわしい。そのうえ、その乗り場の前に府中駅が終点のバスが着くので乗れないバスを目の前で見送ることになりストレス。結局、乗り間違えるし・・・・・。わかりにくいよ。まったくもう。



読了。
余命を宣言された看護士さんが、看護の現場へのダメだし*1を書き綴り、それを共著の川島みどり氏が取りまとめた書籍。


食事の配膳、入浴、できない場合は適時の清拭、部屋の換気、ベッドの移動や手配、一定時間ごとの排泄の確認などのほか、日に何度かにわたって声をかけて脈拍を診て、食事の度に服薬を確認して呼吸の様子を診て、トイレが終わったといえば排泄物の量や様子を観察して血圧を診て、これを1人で数人以上から見なければならないわけだが、そのうえで、


やれ花瓶の位置が低くて目に入らない、やれ麻痺側の手足が寒いから毛布、暑いからタオルケットに替えろ、やれカテーテルの管が固定テープの糊で汚れて見苦しいから拭いてくれ、やれ外気を時々入れて気分転換、でも寒くなる前に窓は閉めてくれ、さらにはあれこれ話しかけるとしゃべりすぎ、挨拶だけだと無口で無愛想と言われ、会話の内容も楽しくて気がまぎれて、それでいて気の利いた受け答えじゃないとダメ。これを全部しなきゃならんのか?






しなきゃならんのです。


その人ができていた日常動作が疾病や障害で実行困難になったときも、同じように行えるように介助するのが看護・介護である限り、その人ができていた普通をできるようにし、日常を心にわだかまりなく過ごせるようにできるようにしなきゃならんのです。

それを99%までできたとして、そのことはできたこととして自負してよいが、残りのできなかった1%に常に意識を向けていかにゃならんのです。

先を歩く亀に永遠に追いつけないアキレスのようにその差をどれだけ縮めても到達できないかもしれないその100%を諦めたら、たぶんそれはもう介護ではないのでしょう。


100ページ足らずのごく薄い書籍でしたが、果てしない道を示した重い重い一冊。

*1:失礼