商人道「江戸しぐさ」の知恵袋
周囲への配慮。
突き詰めて言えばそういうことだ。
書いている内容に、非常に共感した一冊。
- 作者: 越川禮子
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2001/09/20
- メディア: 新書
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道ですれ違うときに、お互いが半分ずつ譲れば「1」つ分だけ空くのだ。町を歩くときに、多くの人がなぜそうできないのか不思議だ。
傘をさしてすれ違うときに傘を相手の反対側に傾ける「傘かしげ」なども、自分では大抵はやっているつもりだが、そういえば、相手がやっているのを見かけることがない気がする。
朝の電車で自分の脇の席に荷物を置いて平気な顔の女性、ホームからの乗車の際に前の人を押しのけるようにして進むババァおばさん。
歩きたばこや臭いの染み付いた上着で町をうろつく喫煙者。
公共の場所で騒ぐ子供と、それを注意できない自分を含めたふがいない大人。
歩道の真ん中に広がって立ち話しても平気で、誰も「通路をあけよう」と言わない集団ばかりになった。
以前は、どんなにだらしない集団でも、誰か一人がそういうのを仕切っていたように思う。
江戸の人々が、ほんとにそんなにお行儀良くしていたかは疑問に思うところもあるのだが、ちょっとした「気配り」がなくなっているような気はする。
町での単なる立ち居振る舞いだけではない。
「忙しい」という字は「(人であることの)心を亡くす」と書く。江戸において、「忙しい?」と聞くのは侮辱にあたったそうだ。
それを、現在では口に出して言い訳にしたり、あまつさえ自慢げに語られることすらある。
会う約束をたがえたり、遅刻、急な変更、相手に合わせない訪問は、相手の時間を浪費させる「時泥棒」。
口先でわかりきったことだけを言って実際の行動が伴わない「野暮」。
犯罪を犯しているわけではないが、「犯罪にならなければよい」とでも言いそうな振る舞いをする人が散見できる気がする。
心のゆとりと謙虚さは、いつも持っておくようにしたいものだと自戒。自戒。