青葉台

Dowa2008-11-05

寒くなってきましたが、秋の草花が華やかではないものの町のいたるところに伸び、目を楽しませてくれています。
なかでも山茶花が白やピンクの花弁をいっぱいに開き、濃い緑の葉との鮮やかで美しいコントラストが目をひきます。

道々の草花に目が行くようになったのは年齢を重ねてきたせいもあるかもしれませんが、前の仕事を辞めて1年間『ニセ隠居』した経験がそうさせているように思います。


わしの胸には『逃げたかったらいつ逃げてもいいのだ』という言葉がいつもあります。
たいへんお世話になった人に言われた言葉で、『お前はお前なのだから』という言葉に続くのです。
つらい時にはこれが手札にある「切り札」で、「逃げてもよい。だからもう少しやってみる(そして本当に逃げるかどうか見極める)」という行動指針になっています。


前の勤め先を辞めた理由はいくつかありますが、仕事に対する自分自身の閉塞感のようなものを感じていたのが大きな理由の1つです。ただ、上記の『逃げたかったらいつでも逃げてよいのだ』という言葉が、逆にもう少し続けてみようという気持ちを起こさせて結局4年ほど勤めました。
おかげで得るところもあり、多少ですが貴重な経験や技術を身に着けることができたと自負しています。


それまでの貯えでしばらく生活できるという目算はあっての退職で、まぁ、ぶっちゃけ一部払い忘れたり支払いが遅れた税金関連があってあとで処理したりもしましたが、当面の食い扶持だけは確保していたので周囲にもそれほど心配はかけず(と認識)、自分としても心に余裕がありました。


「逃げる」ことに自分で納得し、当面の貯えもあったことでわしは求職していた1年を心に余裕を持って過ごせました。人間関係も広がったし、生活や趣味の自分のリズムを持つことができました。


もし、心に余裕がある時間を過ごせなかったら、わしは山茶花に気付くことはなかったでしょう。
しかし、山茶花はそれでもきっと咲いて、わしだけが山茶花を見る楽しみを知らないまま時を過ごしていたのでしょう。


わしはこれからも、こうした路傍のちょっとした楽しみに1つでも多く気付いて過ごしたいと思うのです。