渋谷

Dowa2009-02-19

寒いうえに天気が崩れてくるようです。

でも、花屋の前を通ると、もう店先には暖色系の春色の花々が賑やかに並べられており、甘い芳香を放っています。

渋谷南口駅前ではスイートピーが安売りされていました。


祖父の着物の追跡捜査の続報です。


NTT西日本さんの回答によると、御坊市での3桁の電話番号は「地域集団自動電話」というサービスの電話番号と考えられるそうです。

この「地域集団自動電話」とは、平たく言えば回線共有サービスで、公衆回線を複数の個宅で共有して使うもののようです。
電話番号は複数ですが、回線は1つのため、共有しているどこかで電話を使っていると、その通話が終わるまで電話が使えなかったそうです。


このサービスが提供されていたのは1964年(昭和39年)から1979年(昭和54年)までの約16年間ですが、この番号自体がいつからいつまで使われていたかは不明です。


ちなみに御坊市の呉服屋さんを検索したところ、まだ御坊市内で営業されていることが判明しました。
電話番号の使用期間等はお店に聞けばわかると思いますが、その前にできる情報収集がありそうです。


仮に、1964年に着物を仕立てたとすると、祖父が30代後半から40歳ごろのことになります。
その頃、父は成人したかしないかという年頃です。


着物をもらった時、祖母と父の話によると

  • 祖父は着物をよく着ていたらしい(若い頃は呉服屋さんの営業マンをやっていた)
  • 父が子供の頃は着物を着ていた祖父を見ている。
  • 子供が出来て、製材所をやるようになって着物は着なくなった(祖母情報)

とのことです。

また、わしが子供の頃には祖父の着物姿の記憶はないため、1960年の30代ごろには着物を着る機会が少なくなり、1970年後半の40代ではもう着ていなかったのではないかと思っていたのですが、案外、50代ごろまでは着物を着ていた可能性が出てきました(小さい子供と会うときは着てなかっただけ?)。

実は、もう1つの畳紙があり、これは地元の呉服屋さんの店名と電話番号が印刷されており、電話番号から昭和40年代後半から50年代のものと推測できます。
上記の祖母と父の話しから、単に最後に手入れしたときに畳紙を換えただけかとも思っていたのですが、実は現役で使っていたものだった可能性もあります。

とすれば、この着物を最後に洗いや直しに出したのは、意外に最近だったかもしれません(といっても20年以上は前ですが)。

まずは、父と祖母に昭和40年代に祖父が着物を着ていたかどうかなどを聞いてみることにします。
年代がもう少し絞れれば、お店に聞けば洗いや直しの記録などがあるかもしれず、それがあればこの着物のもう少し詳細な情報が出てくるかもしれません。




あああぁ〜〜そうそう、もう1つだけお聞きしたいのですが。。。(ひとさし指を立てて振り返りつつ)。
祖父はどれくらいの頻度で、どんなときに着物を着ていたのでしょうかぁ?