成城学園前

Dowa2007-01-27


散髪してきました。
気温も高めで、3月並だったとか。


わしは酒は好きな方で、量はたしなむ程度ですが原則として家とお店でしか飲みません。
最近は、会社で飲むということもありますが(会社にキッチンがあり、終業後に酒盛りがある・・・変な会社w)、基本的には酒は家とお店でしか飲めません

「家でしか飲めない」というとすごく制限されている気がしますが、「家でしか飲まない」というと、ほとんどの趣味嗜好は、そんなものだと思います。

例外的に思いつくのは音楽で、それもポータブルプレイヤで個々に楽しむか、店舗内での業務の一環として流すBGM、事務所や作業所、移動中の車内といった限られた(そしておおむね同意の上での)空間でのものでしょう。

さて、「喫煙について考える」第三夜です(え?

喫煙者からの「吸えるところが減った」「受け皿(喫煙所)を増やさずに制限されるのは虐待」と言った声もあるので、いったいどんな喫煙所がどのくらいあればいいのだろうかと考えていたのですが・・・・

そもそも、外(自宅や専用の施設以外)で吸う必要があるのでしょうか?・・・
いや、これは単純な疑問なんですが。ほんとに。


趣味の○○○は、家(またはそのための施設や場所)でやります。

・・・・至って普通に思えます。

もちろん、誰の迷惑にならないのであれば、手軽に楽しめるに越したことはないでしょう。自宅以外に、喫煙所が“あってもいい”とは思います。
でも、マイノリティとは言え、そのことで迷惑をこうむる人々が一定数いることは確かで、致死的ではないにしても有害であるだろうことはほぼ周知と言ってよい中、自宅以外で吸える場所が“必要である”のか疑問に思ってきました。


喫煙が家とお店(に類するもの)以外でも必要と言う理由として、考えつくのは、

  • 今までそうだったから
  • 薬物としての依存性

の2つです。
さて、これは煙害被害者を納得させることができる(つまり、煙害被害者の苦痛を強いてまで喫煙する)理由となり得るでしょうか?

いやー、この2つの理由では、どこまで行っても「そんなのそっちの理由じゃん!」です。

それでもかなりの数の喫煙者が(毎日、外出するたびに一日に何回も迷惑をかけられるほど)なんだかんだと言っては煙害被害者の気持ちをないがしろにしています。

ということは、考えられるのは2つ。

  • 上記の2つ以外に、(煙害被害者またはわしが見落としている)もっともな理由がある。
  • 煙害被害者が根本的に間違っている(つまり、「煙害による被害者」など居ない!)

後者は、わしとしては受け入れがたいものです。でも、可能性はなくは・・・ないのか?いや、いかなる可能性も捨てるべきではないでしょう。

しかし、それよりありそうなのは「見落としている理由がある」です。

これこそが、喫煙者と煙害被害者がスタンスを異にする、決定的な理由なのではないのでしょうか?

というところに考えが行き着きました。

この理由が煙害被害者に理解できれば、喫煙所の必要、ひいては喫煙の必然性も受け入れられ、「まぁ、そういうことならしょうがないよね」と言えるのではないのかなと。

でも、、、、ヘタなところでこれを聞いたら、多分荒れるだけだろうな。。。。